派手な爆音が聞こえると、俺は期待に胸を膨らませる。
スーパーカーが近くにいる証だからだ。
高出力のエンジンから生み出される独特な音は、とにかく目立つ。
スーパーカーの価値はオーナーの振る舞いで決まる。
確かに金さえあれば、車は買うことができるかもしれない。
だが、品格まではお金で買うことはできない。
今回はスーパーカーオーナーの品格についての話である。
スーパーカーの魅力
みなとみらいでの出来事

車好きの俺にとって、スーパーカーは憧れである。
洗練されたフォルムに、独特なエンジン音はいつも魅了される。
そんなスーパーカーは東京に行かずとも、横浜でもたくさん見ることができる。
おすすめのエリアはみなとみらい地区だ。
特に土日や祝日ともなれば、横浜駅から桜木町駅間のエリアは高級車がバンバン走っている。

あのエリア一帯は外車ディーラーも多く、富裕層もたくさん集まっているからだ。
みなとみらいのタワマンに住み、平置き駐車場確保している人は多いはずだ。
そんな車好き達は、休日ともなればこぞって自慢の車を走らせるのである。
近所をぐるぐる回る理由

といっても、スーパーカーオーナーはみなとみらいエリアの特定の場所をぐるぐる回るだけだ。
決してどこかに遠出をするわけではない。
車は定期的に走らせないと劣化や故障の原因につながる。
スーパーカーは高性能故に、放置すると劣化しやすいパーツも多いのだ。
動かさずに大切にするでなく、適度に走らせることが一番のメンテナンスとなる。
- 見せるために走っている
- 燃費、乗り心地、積載量が劣悪なので、そもそも遠出できない
- 駐車場で止めれば盗難やいたずらの危険性
- 走行距離を増やして価値を下げたくない
特定の場所をぐるぐる回るだけで、そこから外には出ていかない。
スーパーカーは移動手段という利便性を求めた車では無い。
その特性上、仕方ない部分もあるだろう。
スーパーカーの魅力

スーパーカーは単なる高いだけの乗り物ではない。
どのブランドにも必ず物語と哲学があり、それこそがスーパーカーの魅力なのだ。
ブランド | 創業年 | 創業者 | 哲学・コンセプト | 代表的なモデル |
---|---|---|---|---|
フェラーリ (Ferrari) | 1947年 | エンツォ・フェラーリ | レーススピリットと情熱、美しさと性能の融合 | 458 Italia, LaFerrari, SF90 Stradale |
ランボルギーニ (Lamborghini) | 1963年 | フェルッチオ・ランボルギーニ | フェラーリへの挑戦、革新と大胆なデザイン | ミウラ, アヴェンタドール, レヴエルト |
ポルシェ (Porsche) | 1931年 | フェルディナント・ポルシェ | 「完璧なスポーツカーを作る」、レーシング技術のフィードバック | 911, 918 Spyder, Taycan |
マクラーレン (McLaren) | 1963年 | ブルース・マクラーレン | F1技術の市販車への応用、軽量設計 | F1, P1, 765LT |
ブガッティ (Bugatti) | 1909年 | エットーレ・ブガッティ | 技術と芸術の融合、超高級・超高速 | ヴェイロン, シロン, ボリード |
パガーニ (Pagani) | 1992年 | オラチオ・パガーニ | 「車はアートである」、カーボン技術の先駆け | ゾンダ, ウアイラ, ウートピア |
ケーニグセグ (Koenigsegg) | 1994年 | クリスチャン・フォン・ケーニグセグ | 最高速・最先端技術への挑戦、独立した開発力 | CCX, アゲーラ, ジェスコ |
アストンマーティン (Aston Martin) | 1913年 | ライオネル・マーティン | 英国のエレガンス、スポーツとラグジュアリーの融合 | DB5, ヴァルキリー, ヴァンテージ |
各ブランドは独自の哲学を持ち、歴史や背景に基づいた価値観をスーパーカーに込めているのだ。
こういったブランドの背景を知ることで、より一層世界に引き込まれるのである。

だが、オーナーが必ずしもこれらのコンセプトにふさわしいとは限らない。
中にはスーパーカーを「大人のおもちゃ」のように下品な使い方をするオーナーも存在する。
下品なオーナーの特徴
空ぶかし、バブリング連発

まず真っ先に挙げられるのは必要の無い空ぶかしやバブリングの連発である。
車である以上、音がなってしまうのはどうしようもない。
特にエンジン始動時の音はすさまじいものがある。
だが、走行時はそこまでうるさくはない。
ほとんどのスーパーカーには静音モードが搭載されているからだ。
そのため、空ぶかしやバブリングは運転手が意図的に出している場合が大半なのだ。

車好きである以上、エンジン音を楽しみたいのはもっともだろう。
だが、それは周囲に迷惑をかけてまでやることではない。
スーパーカーの音というのは、大衆にとっては”ただの騒音”でしかないからだ。
自分が楽しむために周囲を巻き込む必要性は全くない。
TPOをわきまえないような乗り方はをすれば、ブランドのイメージダウンになるのは当然である。
やっていることはただ目立ちたいだけの暴走族とまったく同じだからだ。
派手なカスタム

「スーパーカーは純正が一番美しい」
既に完成されたデザインがある以上、無駄なカスタムはいらないのだ。
一流のデザイナーが生み出した最高のデザインを、わざわざ崩す理由はない。
極端なカスタムは、高級感を損ね、ダサく見えてしまうのである。
- 巨大なGTウイング
- 極端に低い車高
- 派手なデカール
- ネオンカラー
レース会場ならまだしも、それを街中でやれば浮いて見えるだけである。
目立ちたいのかもしれないが、それはダサい目立ち方である。
一種の痛車と同じだろう。

もともと目立つ存在のスーパーカーは、カスタムは控えめくらいで十分なのだ。
派手な見た目に派手なカスタムをすれば、それは成金コーデと何もかわらない。
清潔感ゼロ

スーパーカーオーナー=身だしなみが整っている人とは限らない。
よれよれの服で、太ったオーナーは意外と存在する。
稼ぐことには成功しても、見た目に無頓着な人はいくらでもいるからだ。
- 見た目が関係ない分野で成功した(金融トレーダー、投資家、プログラマー、エンジニア等)
- 既に成功していて見た目を気にする必要が無い
- 見た目の優先順位が低い
ただ、これは明らかにスーパーカーのオーナー像とズレてしまう。
スマートでかっこいい成功者オーラとは真逆の人が出てくれば、当然がっかりもする。
誰だってフェラーリからボロボロのジャージおじさんが出てきたら違和感があるだろう。
上品なオーナーの特徴
余裕のあるふるまい

乗り方や振る舞いが上品だからこそ、スーパーカーは映えるのである。
スーパーカーに乗っているからすごいというわけではない。
- 余裕のある運転
- 迷惑行為をしない
- 人との接し方がスマート
- 清潔感のある外見
こういったところが上品さにつながるのである。
俺が思う理想の運転手像は、信号無しの横断歩道で歩行者のためにしっかり止まれるオーナーである。
実際、大半のオーナーは静かに礼儀正しくスーパーカーを楽しんでいることだろう。
問題は一部の過激なオーナーである。
一部のインフルエンサーによる発信スタイルが、悪いイメージを助長しているのだ。
目立つ、派手、過激な演出をすることで、結果的にブランドのイメージが悪くなっている。
特にランボルギーニやマクラーレンはそのイメージが強い。
下品なスーパーカーブランドといわれているのが個人的には残念でならない。
品のある楽しみ方

スーパーカーは走る楽しみやデザイン、技術へのこだわりを味わうものでもある。
それを理解しているオーナーは、過激な自己顕示をせず、静かに楽しんでいる。
楽しみ方なんて個人の自由かもしれない。
だが、他人に迷惑をかけてまで楽しむのは上品とはいえない。
まとめ
スーパーカーの品格について語ってみた。
スーパーカーは、限定モデルでもない限り、高いお金さえ払えば誰でも買うことはできる。
しかし、その価値を引き出せるかどうかはオーナーの振る舞い次第だ。
スーパーカーに乗るのであれば、それに見合う振る舞いをしてほしい。
そうすれば、スーパーカーは「成金のオモチャ」ではなく、本来の美しさを持つ芸術品であり続けるのだ。